翻訳と辞書
Words near each other
・ メアリ・テューダー
・ メアリ・ドリア・ラッセル
・ メアリ・ノートン
・ メアリ・ハワード
・ メアリ・バログ
・ メアリ・ヒギンズ・クラーク
・ メアリ・リード
・ メアリ・ルジェーリ
・ メアリー
・ メアリー & マックス
メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人)
・ メアリー (スコットランド女王)
・ メアリー (デンマーク王太子妃)
・ メアリー (ハーウッド伯爵夫人)
・ メアリー (ヘアウッド伯爵夫人)
・ メアリー1世
・ メアリー1世 (イングランド女王)
・ メアリー1世 (イングランド王)
・ メアリー1世 (スコットランド女王)
・ メアリー2世


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人) : ウィキペディア日本語版
メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人)

メアリーThe Princess Mary, Duchess of Gloucester and Edinburgh, 1776年4月25日 バッキンガム宮殿ロンドン - 1857年4月30日 グロスターハウス、ロンドン)は、イギリスジョージ3世とその王妃シャーロットの間の第11子、四女。従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックに嫁いだ。
==略歴==
メアリーは娘たちを手元から離したがらない両親のそばで、姉妹たちと一緒に生活を送った。メアリーはジョージ3世の6人の娘たちの中で最も美しい王女で、1796年頃にはロンドンに亡命中のオランダ総督・オラニエ公ウィレム5世の末息子フレデリック(1774年 - 1799年)と恋仲になった。しかしジョージ3世は娘たちは年齢順に結婚すべしと決めており、2人の結婚を許さなかった。1799年にフレデリックが従軍中に戦病死すると、メアリーは公に喪に服することを許可された。
1816年7月22日、メアリーは従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックと結婚した。メアリーの長兄である摂政宮ジョージ王子(後のジョージ4世)はこの結婚に際し、ウィリアム・フレデリックの敬称を単なる「Highness」から「Royal Highness」に昇格させている。これは妻と夫の身分を対等にするための措置であった。
グロスター公爵夫妻はバグショット・パークで暮らし、メアリーは夫の死後はリッチモンド・パークのホワイトロッジに移った。公爵夫妻には子供が無かった。メアリーは姪のヴィクトリア女王には慕われていたという。また長兄のジョージ4世と非常に仲が良く、ジョージ4世と一緒になって彼の妻キャロライン・オブ・ブランズウィックを激しく嫌った。メアリーはジョージ3世の15人の子供たち(うち2人が夭折)の中で最も長生き(81歳)し、そして最も後まで生きていた。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.